2011年12月9日金曜日

ベートーヴェン後期ソナタのCD

 
 ベートーヴェン後期ソナタ。いまは、ヴァレリー・アファナシエフのサントリーホールライヴ録音(2003年)を好んで聞きます。例によってとてもゆっくりしたテンポです。全身黒づくめの格好で鍵盤におおいかぶさるアファナシエフの姿が目に浮かびます。ルドルフ・ゼルキンのCDは、ハンマークラヴィアが68年、No.31が71年の録音。演奏中に身体をひねったり首を傾けたり、口をムニャムニャさせたり。そんな人間ゼルキンが好き。滋味あふれる演奏です。

2011年12月8日木曜日

クラシックCD買物帖


 最近のお買いもの。若林工房のアファナシエフ、コンサートシリーズの新譜。シューベルトのピアノソナタ 第18番長調D894。2010年11月紀尾井ホールの録音。そして、ブリリアントから出たリヒテルのコンサート録音、ベートーヴェン、シューベルト、リストを収録。前者は、先日の浜離宮でのコンサート会場で買い忘れたもの。若林工房のアファナシエフはすべて買っている。リヒテルのコンサート録音は、いま取り組んでいるベートーヴェン・ピアノソナタ作品109、110、111の参考に。ベートーヴェン後期ソナタはアファナシエフ、リヒテル、グールド、グード、内田光子、バレンボエム、グルダ、アラウ、ブレンデル、ケンプ、フランソワ、ゼルキン、といった名ピアニストの演奏を聞き込んできたけれど、アファナシエフ、リヒテル、若い頃のブレンデル、そして巨匠ゼルキンの演奏が自分の好み。

2011年12月1日木曜日

エドワードグリーン購入記1 チェルシー試し履き

スーツをあまり着ない。仕事柄、ふだんはデニムにスニーカーという組み合わせで1年のほとんどを過ごしている。最近はドレスシューズを履くことがあまりないのだが、11月のある日たまたまインナーウェア購入のために立ち寄ったイセメンB1で、ついでにと紳士靴売り場を徘徊しうっかり長居。あれこれ試し履きをするうちに、ぼちぼちよい革靴が似合う歳にもなったし、ひとつ買ってみてもいいんじゃないかという気になってしまった。悪いことに、どうせ買うなら良いものを長く使おうという浪費家癖が出て、身分不相応なエドワードグリーンに恋してしまった。もっとも、ぼくは革靴の善し悪しがわかるわけでもなく、これまで3足履き潰したオールデンの無骨さと比べ、目の前のキャップトゥ「チェルシー」がとにかく繊細でスマートで美しく見えただけなのだ。加えて、グリーンの売り場は専用コーナーだから、浮かれて気分的にも高揚する。店員に勧められるまま足の長さを計ってもらい、チェルシー・ダークオーク、202ラスト、サイズ6のEウィズに足を入れてみた。ダークオーク、つまりこげ茶色のチェルシーはオンでもオフでも使い回せる、おすすめの色だそうだ。たしかに、どうせ買うなら黒じゃないだろう。靴紐を締めて両足で立ってみる。するとどうであろう。靴は足と一体となり、足に吸い付いてくる。それはもう脱ぐことができないのではと思うほどだ。このままコレくださいと言いそうになったが、いちどチェルシーを脱いで、冷静になるために他の靴もチラチラのぞいてみる。すると、素人目にも革の質や細部の作り込みが値段相応であることがわかる。こうなると、7、8万の革靴が安物にも見えてくるから恐ろしい。グリーンは高いけど、ほかとは圧倒的に違うのだなどと、高級靴を買う理屈を考えて自分を納得させる。ただ、13万円を超えるお買い物。インナーだけ購入し、この日は興奮を隠すようにそっとイセメンを去った。衝動買いをしなかったのは奇跡である。休日の雑踏を行き交う人の足もとが気になる。あんなに美しい靴を履いている男は、新宿通りにはほとんどいない。帰り道、ぼくの頭のなかはエドワードグリーンをいかにして買うか、でいっぱいなのであった。

2011年11月27日日曜日

ヴァレリーアファナシエフ来日公演


 11月18日、浜離宮朝日ホールのヴァレリー・アファナシエフリサイタルに行った。アファナシエフは大好きなアーティストの一人。でも、リサイタルを聞くのは今回が初めて。フランツ・リスト生誕200年にあたる今年、アファナシエフの選んだ今夜の演奏テーマは(リストとその時代へのオマージュ「葬送」)。開演時間の19時、ホールの照明が落とされると、全身黒づくめのアファナシエフが姿をあらわした。軽く一礼したかと思うと、拍手が鳴り止まぬうちにベートーヴェン「バカテル ト短調」が鳴りだした。リスト「4つの小品」のエレジー、そしてドビュッシー「前奏曲集」が続く。「沈める寺」の透徹とした音色。鍵盤の遥か上をアファナシエフの大きな手が弧を描く。まるで妖艶な踊りのように。
 後半のプログラムは、ベートーヴェン、ショパン、ワーグナー/リスト、そしてリスト。重畳と幾重にも連なる果てしのない山脈のように続く葬送の行進。これぞアファナシエフ。ショパン・ピアノソナタ第2番葬送第3楽章変ロ短調。スローテンポ。pからffへ、しだいに大きくなる4拍子の行進、その重苦しさ。そしてリスト。詩的で宗教的な調べより「葬送」。静と動の波が交互に訪れて、ぼくの緊張は頂点に達した。最後のコーダでは鋼鉄フレームの残響音がいつまでも続き、微かに聞こえる葬送の行進が、とうとうはるか彼方へ去っていった。
 アンコールのリクエストはかなわなかったけれど、今夜のリサイタルは深い瞑想の90分だった。これがアファナシエフの芸術なのだろうか。演奏後の長蛇の列をつくったサイン会で、最新刊『天空の沈黙』と、たまたま持ってきていたボロボロの楽譜=ベートーヴェンピアノソナタ作品110ヘレン版の表紙にサインをいただいた。ステージではぶっきらぼうな印象のアファナシエフはずっと笑顔でサインに応じていた。そうえば、アファナシエフは鎌倉や京都が大のお気に入りらしい。
 生誕200年のリストイヤーだが、ぼくはこれまでリストの曲をあまり聞いてこなかった。ピアノを弾く自分にとってリストの曲は難しいというイメージがつきまとうし、それを乗り越えてぜひ弾いてみたいという曲もあまりない。しかし最近、ブレンデル『巡礼の年』(DVD)を買ってみて、そうとは決めつけないでもう少し聞き込んでみないと、と考え始めたころだった。ある専門家がベートーヴェンとリストはピアノの性能をとことん知り尽くしていたが故、2人の人生後期の名曲はピアニストにとって運指の運びが自然で弾きやすいのではないか、と語っていた。前者は同感。ベートーヴェン後期ソナタは、とてもリラックスして弾けると思う。自然で無理がない。吉田秀和氏は後期ソナタを「名人の筆」と言う。では、リストはどうなのか。ぼくにはまだ分からない。でも、この夜アファナシエフの演奏から得た感銘に素直に向き合いたいと思った。大好きなベートーヴェンはしばらく忘れて、リストを聞いてみようか。